昭和51年(1976年)中学入試状況

2016/06/03

先日、母の遺品を整理していたら、私の弟が小学生の時に

通っていた塾の資料が出てきました。

母は何でもとっておく人だったので、今までにも、懐かし

いもの(たとえば私の小学校から高校までの通知表や模試

の成績表など)が見つかっています。

その資料の中に、その塾(今でも存在する中堅塾)がまと

めた手書きの中学入試「偏差値表」がありました。

今とポジションの異なる学校がけっこうあります。

男子校では桐蔭(当時はまだ男子校)、攻玉社、成城が

目立ちますが、なんといっても目をひくのは世田谷学園

(当時は世田谷)でしょう。

女子校では聖心・日本女子大・桐朋女子・恵泉がかなり

高い位置にあります。鷗友はミドルレベル、そして豊島

岡が驚く位置に!

共学校では青山・成蹊・成城学園・玉川学園のお嬢様系

の学校が上位を占めていますね。

当時はまだ「2教科受験」校がたくさんあり、大半の学

校が「面接試験(それも過半数は保護者同伴面接)」を

実施していました。

試験は「1回だけ」がほとんどで、もちろんインターネ

ットによる当日発表などはありません。

当時、私は高校生でしたが、塾の仕事を始めた頃も、ほ

ぼ似たような状況でした。

よくご覧になるといろいろと面白いですよ。

IMG_2216

コメント(0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">

このエントリーのトラックバック

https://www.plenus.org/blog/4643.html/trackback